Princess Yumi


プリンセスゆみ
プリンセスゆみは、東京の世田谷にて歯科医院を営む両親と姉の祥恵が暮らす家に誕生しました。
母の身体は、出産に不向きな体調だったようで、姉の祥恵を帝王切開で大変苦労して出産しました。姉が生まれたとき、もう自分の出産は、この子限りにしようと誓っていたそうです。
それが、ある程度成長してきた姉の祥恵に、どうして家には兄弟がいないのか、家にも妹か弟の兄弟がほしいとせがまれました。母は、姉の祥恵にせがまれて、もう1人だけ自分でも子供を出産してみようと決意したそうです。
そして、プリンセスゆみは誕生しました。
母は、ニューヨークのマンハッタン、日系の大手商社に勤める父と母(私の祖父母)の元に生まれました。母の父は、ニューヨーク支店での勤務だったため、母の父も母も、ずっとニューヨークで暮らしていました。そのため、母もニューヨークにて生誕し、ニューヨークの学校に通い、育ち、ニューヨークで暮らしてきました。
高校を卒業するまで、ずっとニューヨークで両親と暮らしてきた母は、日本で医師を目指すため、ニューヨークの実家を出て、単身日本へ戻り、日本の医科大学に入学しました。
父は、東京の世田谷で歯科医院、開業医を営んでいた父と母(私の祖父母)の元に生まれました。開業医だった父の跡を継ぐため、父は勉強して、日本の医科大学に入学しました。
同じ医科大学に入学した父と母は、大学を卒業すると自然と付き合うようになって、やがて結婚しました。父は、開業医だった父の歯科医院で働き、母は、そのまま大学の病院に残り、大学病院で勤務し、しばらく2人は共働きでした。
姉の祥恵が生まれると、母は大学病院を寿退社して、父の歯科医院を手伝いながら、姉の祥恵の育児に専念してきました。そして、お腹に私を妊娠しました。
姉の祥恵の出産にも大変な苦労をしたみたいですが、私の出産は、出産前の妊娠時からつわりなど大変だったようです。
あまりのつわりの痛みに、この先1人での出産は難しいと判断した母は、出産までの間、しばらくニューヨークの両親の実家に戻って、向こうで出産することを決断しました。
そして、母は渡米して、私はニューヨーク、ニュージャージー州の病院で生誕しました。
ニュージャージー州の病院で私は、未熟児で誕生しました。出産後、しばらくは新生児用の集中治療室内で育ちました。その後、集中治療室から出られた後も、身体が弱かった私は、日本へ帰国する飛行機に搭乗することが出来ず、小学校に入学する直前まで、ニューヨークの祖父母の実家で、母と暮らすこととなりました。
小学校への入学直前、ようやくそれなりの体力がついてきた私は、母と共に日本へと帰国する飛行機に搭乗して、生まれて初めて日本の地へと到着、戻ってこれました。